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AIに書かせるもの、人が書くもの

理解するための文章は自分で書き、伝達・展開するための文章はAIに任せる。思考と展開の違いから、人とAIの役割、一次記録を残す価値を考えます。

AIに書かせるもの、人が書くもの

AIで文章を大量に作れるようになった。

すると当然、「ブログも全部AIに書かせればいいのでは?」という発想になる。

でも、実際に使っていると、どうもそう単純ではない。

AIに向いている文章と、人間が自分で書いた方がいい文章がある。

その違いは、文章力ではなく、その文章を書く目的が「思考」なのか「展開」なのかにあると思う。


人が書いた方がいいのは「考えるための文章」

自分の中にまだ答えがないテーマは、人が書いた方がいい。

たとえば、

  • なぜこの設計が良いと思うのか
  • AI時代にエンジニアの価値はどう変わるのか
  • 自分は何を大事にして働くのか
  • この経験から何が言えるのか

こういう文章は、書くこと自体が思考になっている。

頭の中では最初から完全な論理ができているわけではない。

実際には、

Aだと思う
↓
でもなぜだろう
↓
Bが原因かもしれない
↓
いや、Cの場合は説明できない
↓
では条件はDではないか
↓
そうすると結論はEになる

というように、書きながら因果の鎖を作っている。

文章を書くという行為によって、自分自身のモデルが更新されている。

これはAIに完成文を出してもらうと失われやすい。

AIがもっともらしい文章を一気に出すと、人間はそれを「分かった気」にはなれる。

しかし、その因果関係を自分で一本ずつ通過していないので、自分の理解としては残りにくい。

だから、理解したいテーマは自分で書いた方がいい。


AIは「論理の発明」より「論理の展開」に向いている

AIに、

「このテーマについて記事を書いて」

とだけ頼むと、かなり自然な文章が出てくる。

しかし、よく読むと問題がある。

Aという主張から始まったはずなのに、

A
↓
それっぽいB
↓
関連するC
↓
一般論D

と進み、最初に考えていた因果の鎖から少しずつ外れていくことがある。

一文一文は正しいように見える。

でも、記事全体として見ると「結局何を証明したかったのか」が弱くなる。

一方で、

A → B → C → D

という論理の骨格を人間が先に作れば、AIはかなり強い。

文章を整えたり、具体例を足したり、構成を変更したり、別の読者向けに書き換えたりできる。

つまりAIは、

論理をゼロから作る装置というより、既にある論理を展開する装置

として使った方が安定する。


AIに一番向いているのは「記録から文章を作ること」

さらにAIと相性がいいのが、実体験の記録だと思う。

たとえばビザ取得。

価値があるのは、きれいな文章ではない。

4月1日 申請
4月8日 追加資料を要求された
4月10日 提出
5月3日 問い合わせ
5月20日 承認
実際にはこの書類で詰まった
窓口ではこう説明された
費用はこれだけかかった

という一次記録に価値がある。

この記録さえ正確なら、AIは後から、

  • ビザ取得体験記
  • 申請手順
  • 必要書類一覧
  • よくあるトラブル
  • 時系列まとめ
  • 初心者向けFAQ

など、いくらでも別の文章に変換できる。

ここではAIに考えてもらう必要がほとんどない。

事実の鎖は、人間の経験そのものが保証しているからだ。


人とAIの役割を逆にしない

たぶん問題なのは、人間とAIの役割を逆にしてしまうことだ。

良くない使い方は、

人間:
テーマだけ決める

AI:
考える
論理を作る
主張を決める
文章を書く

人間:
読む

という形。

これだと完成物は増えるが、人間側にはほとんど理解が残らない。

一方で、

人間:
経験する
観察する
考える
因果を作る

AI:
整理する
不足を指摘する
限定条件を探す
文章を展開する
別形式へ変換する

なら、AIの強みを使いながら、人間側にも理解が蓄積する。


AIは「ライター」より「編集者」に近い

理解を深めたい文章では、AIに本文を書かせる必要すらあまりないかもしれない。

人間がまず論理を書く。

その後AIに、

  • 断定が強すぎる部分はないか
  • 修飾語が足りない部分はないか
  • 因果と相関を混同していないか
  • 反例はないか
  • 前提条件が抜けていないか
  • 読者が誤解しそうな場所はどこか

をチェックさせる。

これはAIをライターではなく、

lint、type checker、reviewer

として使う感覚に近い。

人間が論理を所有したまま、AIの網羅性を利用できる。


結局、何を人が書くべきか

整理すると単純だ。

理解するための文章は、人が書く。

伝達・展開するための文章は、AIに書かせる。

そして実体験については、

文章より先に、一次記録を残す。

これが重要になる。

今後価値を持つのは、完成したブログ記事そのものではないのかもしれない。

本当に価値があるのは、

経験
+
時系列記録
+
判断理由
+
失敗
+
修正

という原データだ。

ブログは、その原データから生成される一つのビューに過ぎない。

AI時代は、文章を書く能力よりも、

再利用できる経験と論理を残せる能力

の方が重要になっていくのだと思う。